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名古屋地方裁判所 昭和36年(モ)931号 判決 1962年2月12日

申立人(仮処分被申請人) 倉敷紡績株式会社

被申立人(仮処分申請人) 伊藤美恵子

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

事実

申請人代理人は「名古屋地方裁判所昭和三六年(ヨ)第五号仮の地位を定める仮処分申請事件について同裁判所が昭和三六年一月三〇日なした仮処分決定を取り消す。申請費用は被申請人の負担とする。」との裁判を求め、申請の理由として次のとおり述べた。

申請人被申請人間の名古屋地方裁判所昭和三六年(ヨ)第五号仮の地位を定める仮処分申請事件について同裁判所は昭和三六年一月三〇日「申請人は本案判決確定に至るまで仮に被申請人が申請会社安城工場の従業員であることを確認する」旨の仮処分決定をなした。

右仮処分決定後、未成年者である被申請人の親権者父伊藤功、母伊藤澄子は申請人に対し昭和三六年四月一七日付島根県窪田郵便局第三五〇号書留内容証明郵便をもつて「自分ら両親は被申請人の現況よりみて、被申請人をこのまま安城市に居住させその交友関係の中に置くことは本人の前途のために実に不安且つ不利と判断する。又家庭の事情も被申請人本人の帰村を必要とする。したがつて昨年三月七日付退職願は本人の意によつて作成したものであるが、仮に無効であつて申請人被申請人間になお労働契約が存続するとすれば前記事情により解除したいから通知する。」旨述べて労働基準法第五八条第二項により申請人被申請人間の労働契約解除の意思表示をなし、右文書は同月二〇日申請人に到達した。

未成年者の労働契約について親権者が監督教育上好ましくなく未成年者に不利であると認めて、これを解除した場合には使用者はその効果を争い得ず、右解除の意思表示の到達をもつて労働契約は当然に解除されるものであつて、何人といえども親権者のなした不利であるとの認定を争うことはできないのであるが、更に被申請人の申請会社安城工場における現在の就労状況、安城市における居住環境及び交友関係、安城市内に親族等親権者に代つて監護の任に当る者のないこと、申請人被申請人間の係争によつて申請会社の教育機関その他への監護教育の依存ができなくなつたこと、被申請人の実家の家庭事情等を綜合して考えれば、被申請人の父母が右労働契約の存続をもつて未成年者である被申請人に不利であると認定したことは理由がある。

よつて申請人被申請人間の労働契約は、前記昭和三五年三月七日付退職願が無効であるとしても、前記内容証明郵便が申請人に到達した昭和三六年四月二〇日をもつて終了し、右仮処分の被保全権利が消滅したので、右仮処分決定の取消を求める。(疎明省略)

被申請人代理人は主文同旨の判決を求め

申請理由中、申請人主張の如き仮処分決定がなされたことは認めるが、申請人主張の如き内容証明郵便が申請人に到達したことは不知、その余の事実は争う。

と述べ、次のとおり主張した。

(一)  申請人が取消を求める本件仮処分決定は、被申請人の父が被申請人に無断でなした昭和三五年三月七日付退職願に基く申請人の依願退職手続が無効であることを理由とするものであるから、本件において申請人が取消の理由とする昭和三六年四月一七日付労働契約解除の意思表示とは別個の理由に基くものである。したがつて昭和三五年三月七日付退職願による依願退職手続の無効を否定する補足的行為であれば、或は事情変更があるとして右仮処分決定の取消を求めることができるとしても、本件取消申請の理由は右と別個のものであるから、これをもつて右仮処分決定の取消を求めることはできない。

(二)  被申請人の父は申請人の意向を受けて被申請人の退職を勧告するが、被申請人には退職の意思がなく、被申請人とその父とは申請人被申請人間の労働契約に関し利害関係が相反しているから、民法第八二六条により右労働契約の解除について被申請人の親権者は解除権を行使し得ない。

(三)  被申請人の親権者の解除理由は被申請人の居住地交友関係が被申請人の前途のために不利であり、又家庭事情から被申請人の帰村を必要とするというものであつて、労働契約自体が被申請人に不利というわけではなく、むしろ被申請人の父が昭和三五年三月七日付退職願を提出したことによつて被申請人は申請会社の寮に居住できなくなつたものであり、又交友関係者は被申請人が就労できなくなつたことを不法不当として援助したに過ぎず、悪を慫慂するものではないから、労働基準法第五八条第二項にいう労働契約が未成年者に不利である場合にあたらないものとして、被申請人の父母がなした右労働契約解除の意思表示は無効である。

(四)  労働契約が未成年者にとつて不利であるか否かの判断は親権者が主観的恣意的になし得るものではなく、解除権の濫用が問題になる場合があるところ、前記(三)項記載の如く監護教育上の不利益性が存在しないのになした本件労働契約解除の意思表示は解除権の濫用として無効である。

(五)  被申請人は申請人から思想信条を理由に退社を希望され、被申請人の親権者は申請人の右意向を受けて、被申請人の利益を守るためでなく、申請人及び被申請人の親権者自身の利益を守るためにのみ本件労働契約解除の意思表示をなしたものであつて親権者に値する行為をしておらず、右解除は親権の濫用として無効である。(疎明省略)

理由

申請人主張の如き仮処分決定がなされたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第二号証の一、二の各記載によれば、被申請人の親権者父伊藤功、母伊藤澄子は昭和三六年四月一七日申請人に対し「被申請人の現状よりみてこのまま安城に居住させ、その交友関係の中におくことは被申請人の前途のために実に不安且つ不利と判断し、なお被申請人の父は昭和三五年七月村長になつて公務多端の上家事も多忙であつて田畑の耕作も他人に任せる状況にあるので、右の如き被申請人の将来及び家庭の実情を考えあわせて被申請人を家庭に戻すべく熱望するので労働契約を解除したい」と記載した内容証明郵便を発し、労働基準法第五八条第二項により申請人被申請人間の労働契約解除の意思表示をなし、右郵便はその頃申請人に到達したことが疏明される。

申請人は右労働契約解除によつて前記仮処分の被保全権利が消滅したので、右仮処分決定の取消を求めるというのであるが、これに対し被申請人は先ず、本件仮処分決定取消の申立は前記仮処分決定の原因となつた退職願に基く依願退職手続と全く別個になされた昭和三六年四月一七日付労働契約解除の意思表示を理由とするものであるから許されない旨主張するが、本件において申請人は事情変更により仮処分決定の取消を求めるものであつて、仮処分決定に対する異議の場合とは異なり、仮処分決定自体は適法とみながらその後において生じた仮処分要件の消滅事由が取消理由となるのである。したがつて前記依願退職手続以後の事情によつて右労働契約自体が終了したとすれば、その終了事由が右依願退職手続に関係あるか否かにかかわりなく、被保全権利が消滅したものとして右仮処分決定の取消を求め得るものというべきであるから、被申請人の右主張は失当である。

次に被申請人は、被申請人とその親権者とが右労働契約に関し利害相反するから、右労働契約解除について民法第八二六条が適用されるべきである旨主張するが、労働基準法第五八条第二項により親権者のなす労働契約の解除は親権者自らの利益を守るために認められたものではなくして、ひとえに未成年者の保護のために認められたものであり、労働契約が未成年者に不利であると認める場合には未成年者の意に反しても未成年者の利益になるものとして契約解除をなし得るとしたものであつて、右両者間に利害相反するという関係は生じないから右労働契約解除につき民法第八二六条を適用する余地はなく、被申請人の右主張も失当である。

次に被申請人は右労働契約が労働基準法第五八条第二項にいわゆる未成年者である被申請人に不利である場合にあたらないものであるから、右労働契約解除の意思表示は解除権の濫用として無効である旨主張する。

ところで労働基準法第五八条第二項は親権者、後見人又は行政官庁において労働契約が未成年者に不利であると認めるときは親権者等に労働契約を解除する権利を与えているが、何が「未成年者に不利である」と認めるかの判断基準については法は別段規定していないから、その認定は一応解除権者にまかされているというべきである。従つて、解除権者が不利と認定して使用者に対し労働契約解除の意思表示をした以上、使用者はこれを争う余地はないものと解すべきである。しかし、不利なることの認定が解除権者の判断にまかされているといつても、直ちにそれが解除権者の恣意的判断までも許しているものとみるべきではない。何となれば、法は不利なることの具体的基準は明示していないが、親権者等に解除権を与えた所以は未成年労働者の保護にあることに鑑み、第五八条第二項の「不利」とは、未成年者の当該労働契約を継続することがその労働条件又は就労状況からみて未成年者のために不利益である場合をいうものと解すべきである。かかる場合に親権者、後見人はその監護教育権に基き、又行政官庁はその行政上の監督権に基いて解除権を行使することができるのである。従つて右の趣旨を越えて、解除権者の使用者に対する好悪の感情、未成年者又はその交友との信条の相違、親権者の家庭事情等の解除権者の都合による事由に基いて不利を認定して解除権を行使するのは権利の濫用とみるべきであつて、かかる場合は解除の効力を生じないものというべきである。

そこで右労働契約解除の意思表示の効力について判断する。

成立に争のない甲第四及び第五号証(各一部)乙第六号証の各記載によれば、被申請人は昭和一六年一〇月一八日生であること、被申請人は昭和三四年三月申請会社に入社し安城工場勤務となつたが、間もなく日本民主青年同盟に加盟し、又共産党と関係がある訴外浅井満及びその妻と親しくなり、全農林組合に属する訴外戸軽某とは三年位前から交際する等、左翼グループとの交友があること、申請人は右の如き被申請人の思想傾向を被申請人の両親に知らせ、被申請人の父及び申請会社勤務上山金治らが被申請人に退職するように説いたが、被申請人の肯んじるところとならなかつたので、ひとまず被申請人を帰郷させた後、被申請人の父、長姉、次姉らが退職して実家で家業の手伝をするように説得したが、被申請人は退職する意思を毛頭有しなかつたため、被申請人の父は被申請人に自発的に退職の意思を表明させることはできないと考え、昭和三五年三月七日被申請人に無断で被申請人名義の退職願を作成し申請人に送付したので、申請人は右退職願に基き被申請人につき退職の手続をとつたけれども、被申請人はあくまで申請会社安城工場で就労すべく家族の者の監視をくぐつて安城市に帰り、引き続き前記の者らと交際しているが、申請人からは就労を拒否され、会社寮に寄宿することもできないでいること、被申請人の実家は農業を営んでいるが、父伊藤功は島根県簸川郡佐田村長をして居り、長姉淑子は学生である弟と共に出雲市に居住しているため、残る母及び次姉美智子が主として田畑を耕作しているので働き手が不足し、被申請人に家業の手伝を期待していること、そこで被申請人の父母は右の如き被申請人の安城市における生活環境、交友関係からみてそのまま職場へおいても余り好かれそうにないし、安城工場への再就労が認められても異端者扱いされるであろうから、被申請人のこのような状態を更に続けさせて行くことは子のために不利であると判断し、昭和三六年四月一七日前記労働契約解除の意思表示をなしたことが疏明される。右認定に反する前記甲第四及び第五号証の各記載部分は措信し難い。

右事実によれば、被申請人の親権者が労働契約を解除したのは労働契約に基く労働条件又は就労状況が被申請人に不利であるというのでなく、被申請人が左翼グループの者と交際することによつて申請会社内で一般に受け容れられない存在となつていると考え、監護教育上の見地からみて被申請人を引き続き安城市の現生活環境の中に居住させることを懸念し、加えるに被申請人の実家において働き手を必要としている家庭事情によるものであることが認められる。

しかしながら右労働契約解除当時被申請人は未成年者であるとはいえ、その六ケ月後である昭和三六年一〇月一八日には成年に達することも考え合わせれば、被申請人が右の如き左翼グループとの交際によつて通常の社会生活から逸脱するような事態が生じ又は生じるおそれがあれば格別、このような事情が疏明されない本件においては、親権者は被申請人に対し交友につき説示するのならばともかく、交際相手が左翼思想を有する者であることのみをもつて被申請人の交友関係に危虞の念を抱き、その交友の範囲を現実に制限するような措置に出ることは個人の自由に対する不当な関渉として許されないものというべく、したがつて被申請人の交友関係者が被申請人の親権者と信条を異にするものであつてその意にそわないからといつて、親権者において未成年者と申請人間の労働契約を継続することは未成年者に不利であると判断することは何ら理由のないものといわなければならない。

もつとも被申請人につき退職手続のとられた昭和三五年三月以降被申請人は申請人から就労を拒否され、申請会社寮へ寄宿することもできない状態にあるので、その生活環境及び監護教育は親権者が当初期待していたところとは異つたものとなつたけれども右は被申請人の父伊藤功が昭和三五年三月七日被申請人の意に反して無断で被申請人名義の退職願を作成提出し、申請人が右退職願に基き退職手続をとつたことに由来するものであつて、親権者の右無権限な行為がなければ、又親権者が申請人に対して右退職願は被申請人の意思に基かないものである次第を説明し、申請人が被申請人に再就労及び寄宿寮への入居を認めさえすれば、被申請人は右の如き不安定な状態におかれないのであるから、労働契約に基く就労自体には何ら不利というべきものがない以上、被申請人に対する監護教育が親権者の当初の期待にそわない状況におかれていることのみに着目して、これから直ちに右労働契約が被申請人に不利であるとの論をとることはできない。

更に被申請人の実家においては働き手が必要であり、被申請人が帰郷して家業に従事すれば好都合な事情にあることは前記のとおりであるが、右は親権者自身の都合をいうにとどまるのみならず、被申請人が当時間もなく成年に達し自己の意思をもつて自由に職業を選択し得るようになるのであるから右の如き実家の状況をもつてしては本件労働契約が被申請人に不利であることの事由とすることはできない。

以上によれば、本件労働契約においてはその労働条件又は就労状況からみて労働契約を継続することが被申請人のために不利益である事実は存在しないのであつて、被申請人の親権者がなした本件解除の意思表示は単に親権者と信条を異にする者との交際の断絶と親権者の家庭事情のために申請人の意思に反して恣意的になされたものというべきであるから解除権の濫用として無効と断ずべきものである。

よつて申請人には右仮処分決定の取消を求める理由がないから本件申請を失当として却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤淳吉 村上悦雄 渡辺一弘)

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